瀬津佐 拓馬 オフィシャルブログ

日頃感じる思いを素直に綴ってます。

テレビがんばれ!

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前にも書いたかもしれない。

また、感じたので書きます。

気軽に見れるテレビは大好きである。

しかし、現在の番組状況はどうだろう。

あくまで個人的な意見で申し訳ない。

バラエティ番組、お笑い、旅行番組、情報番組、ドラマが主なテレビのカテゴリーだが

、最近では全然新鮮味がない。

見て為になる、知識がつく、驚く番組が少ない気がする。

もちろん、いくつかは録画してでも見たい番組はある。

例えば、いわゆるヒリヒリした緊張感があるドラマが見たい。

サスペンスでもなく、ミステリーでもなく、一人の人間が社会の矛盾と戦いながらも

日々成長していくドラマを見たい。

ネトフリ、アマプラも好きだが、テレビにも負けてほしくない。

苦手なものは嫌いか

好き嫌いは、人の嗜好に起因する習性なので、他人が

 

理解するのは困難だ。

 

他人を理解しようとするから、多大なストレスを抱えてしまう。

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あらかじめ、嗜好の多様性や特殊性を理解していれば、他人の

 

行動を許せる大きな心を持てるようになる。

 

この好き嫌いの分野で、不思議な現象がある。

 

それは、自分が苦手なことを嫌う現象だ。

 

例をあげれば、カラオケが苦手な人は、カラオケのデメリットや

 

自分が嫌いな理由を多く語る。

 

密室で空気が悪いとか、人の下手な歌を我慢して聞かなければならない

 

とか。

 

嫌いと苦手なことに対する意識は、全く違うが似た部分も多くある。

 

やはり、人は自分を正当化したい、間違ってないという意識が

 

強いのだろう。

 

人に同意して欲しいという気持ちもあるだろう。

 

ちょっと悲しい習性かもしれない。

 

イソップの話で、高くて、取れないブドウに対して、

 

「あのブドウは不味い」と言い訳する話の本質と似ている。

 

苦手なことを批判するのは、簡単で、いくらでもあげることができる。

 

ただ、その言動は他人を深く傷つける場合があるので注意してほしい。

 

冒頭に書いたように、それは嗜好の違いで、その対象に落ち度はないからで

 

ある。

 

よって、人間の習性は、苦手なことを嫌う傾向があり、それを理解した上で

 

日頃から人とうまく付き合うことを推奨する。




負けるなテレビ番組

近年、ユーチューブの台頭が目覚ましい。

 

元来、テレビのコマーシャルが苦手な私にはユーチューブ

 

が、テレビよりも有益だ。

 

テレビでも民放かNHKのどちらかと聞かれれば、間違いなく

 

コマーシャルのないNHKを見る。

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もちろん、民放にも有益なチャンネルが多数ある。

 

地方ごとにケーブルテレビが放映されているが、今ひとつ魅力的な

 

内容ではない。

 

映画専門チャンネルが、もっと低価格で視聴できればいい。

 

しかし、ユーチューブの自由度、選択肢の数、にはテレビは勝てない。

 

この質の徹底的な違いは、視聴率至上主義かどうかにかかっている。

 

テレビ局は営利追求団体なので、視聴率を稼ぎスポンサー収入で

 

成り立っている。

 

よって、最大公約数的に顧客を獲得するために、有名人や流行りの

 

タレントを出演させる。

 

自ずと、どのチャンネルも似通った内容になるのは自然の論理だ。

 

旅番組、クイズ番組、バラエティ、情報番組、料理番組、ドラマがかなりの

 

割合を占めている。

 

今後、テレビがユーチューブに勝つためには、視聴率を無視した

 

マニアックな一部の視聴者にしか好まれない番組を勇気を持って

 

作れるかどうかにかかっている。

 

例えば、一日中、文庫本を紹介する番組や、映画を紹介する番組など

 

どうだろう。

 

もしくは、ユーチューブと同じ土俵に立たず、違った方向性を

 

追求すべき。

 

テレビの可能性も、まだまだ工夫次第で広がるはず。

将来も生き残る職業とは

近年、AIの発達で世の中の仕事が格段に省力化されている。

 

ホテルの受付業務、店舗の受付業務、などはAIロボットなどが

 

試験的に設置され基本的な接客業務などは無難にこなしている。

 

現在の職業のほとんどが、近い将来AIにとって変わると言われている。

 

それでは、いくらAIの機能が発達しても、生き残る職業とはどんな

 

職種があるだろう。

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確かに、あらゆる職業の作業は、過去の実績やデータがあれば、無難に

 

職務を遂行することができるだろう。

 

通訳の仕事、翻訳の仕事、ガイド的な仕事、マニュアルが簡単に

 

作成できる仕事は、確実に将来AIが受け持つだろう。

 

車の自動運転にしても、走行中に発生するあらゆる状況をデータ化して

 

AIに入力しとけば、自動的にそれを認識して危機回避の運転をしてくる。

 

しかし、データ化がされにくい業務とはなんだろう。

 

それは、想定外の事象に臨機応変に対応するスキルだ。

 

例を挙げれば、スーパーマーケットのお客が、商品を探すときに商品名を

 

忘れている場合がある。

 

店員がお客の言葉から、その商品を確定するのには、かなりの経験と

 

接客技術が必要だ。

 

この臨機応変のスキルにAIは、簡単には追いつけない。

 

人間の感情に起因するスキルや想像力を発揮する美術、絵画などは、AIには困難だろう。

 

少なくても、現在の技術では。

 

うまくAIの力を利用しつつも、AIが苦手な分野は習熟した人間が補完し

 

共存する世の中が理想だ。



ホテルのサービスに期待

楽しいはずの家族旅行が一瞬にして、壊されることがある。

 

その理由は旅行先のホテルのサービスの悪さだ。

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独断と偏見で言わせてもらうが、海外のホテルと比べて日本の

 

ホテルのサービスの質は低い。

 

ランク付の基準としてホテルの設備や部屋の豪華さ、食事の美味しさ、回りの環

 

境、などがある。

 

しかし、これらがどんなに一流でもホテルのサービスが悪ければ、何も

 

意味を成さない。

 

こんなことを経験した。

 

部屋のベッドのシーツが汚れていて交換をお願いした時のホテルの対応が

 

最低だった。

 

しばらく待った後に謝罪に来たのは、新人で支配人は謝罪に来ない。

 

グレードがアップした部屋に交換をしてくれたが、ベッドの位置がバラバラの

 

配置。とても、楽しめるホテルライフではなかった。

 

無料の食事券も次回使用できる宿泊クーポンも、最後まで提供されませんでした。

 

設備も回りの環境も食事も良かっただけに、本当に残念な旅行となってしまった。

 

帰ってから、そのホテルのレビューを見たら、やはり同じ内容のクレームの

 

書き込みが多数ありました。

 

これが名もない観光地だったら、期待はしなかったかもしれない。

 

だが、我々の旅行先は、日本でも有数の観光地である。

 

本当に残念で家族の落胆も大きかった。

 

どんな商売でもミスはつきもの。

 

だが、そのミスをいかに最小限にとどめ顧客を失わない努力を継続するか。

 

そのホテルのサービスの質が問われるのは競争社会で常識だ。

 

海外のホテルとの差は、そのサービスの部分であり、おもてなしの精神を

 

ぜひ全てのホテルに持って欲しい。

地方の独特な風習

日本国内で色々な地方に暮らしてみると、その地方特有の習慣に

 

触れることがある。

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例えば、町で霊柩車を見かけた時の対応。

 

親指を隠す。

 

これは、不幸が家族に及ぼさないようにという意味だろうか。

 

合掌する。

 

これは普通の常識的な対応だ。

 

季節ごとのイベントや伝統的な行事にも、その地方特有の習慣があるだろう。

 

お正月の過ごし方では、元旦の夕食はすき焼きを食べるとか、鍋料理にするとか

 

色々ある。

 

お盆や、お墓参りに関する行事。

 

ひな祭り、五月人形を飾る行事。

 

恵方巻きを食べる時に決まった方角を向く習慣。

 

北から南へ細長い日本列島であるから、その地方の特色も

 

北と南で大いに違いがあるのは、当たり前だ。

 

なかには、マスコミや世間の風潮に流されてしまっている習慣も

 

あるだろう。



どうしても、その地方独特の習慣が肌にに合わなければ住まなければいい。

 

その家族が長年行ってきた習慣や風習は、それが家族の平安を維持する目的も

 

あるはず。

 

結婚後に、夫婦で違った習慣に初めて気づくのも楽しい。

 

いきなりその習慣を中止すると不幸が訪れるという迷信まであるが、

 

それはいき過ぎた考え方だろう。

 

たまに、その地方の習慣を批判する人を見かける。

 

悪気はないが、自分が知らなかっただけで、その習慣を拒絶するのは

 

おかしい。

 

郷に入れば郷に従えという気持ちが必要。

 

逆に、そういった多様性を楽しむ心の余裕が欲しい。

ゴミ箱の設置場所

近年、公共施設内のゴミ箱のあり方についての議論が目につく。

 

例えば、駅構内のごみ箱は必要だろうか。

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注意書きとして「家庭ゴミの投函はおやめください」とある。

 

確かに、このゴミ箱のおかげで、駅構内が綺麗に保たれているのは

 

否めない。

 

しかし、駅利用者の中で、突発的にゴミが発生して、駅のゴミ箱を利用する

 

人がどれだけいるだろうか。

 

私は、デメリットの方が多いと思う。

 

ゴミ箱の存在を知った利用者は、悪意がなくても家庭で発生したゴミを

 

投げ捨ててしまわないだろうか。

 

これはマナーの問題だ。

 

海外に比べて公共の場でのマナー違反が少ない日本人のおかげで

 

まだ、綺麗に保たれている。

 

ただ、これに伴って発生する管理、維持費用も多大だ。

 

清掃員の人件費や劣化した箱の交換作業などだ。

 

これがイベント会場だと、また話が違ってくる。

 

人が集まればゴミが発生するのは、当たり前。

 

イベント主催者にゴミの管理の責任がある。

 

ディズニーランドの通路の清潔状態を見習って欲しい。

 

そこにゴミ箱があったら、ゴミの種類に関係なく捨ててしまうのが

 

人間の心理だ。

 

それを咎めるのはむづかしい。

 

例えば、電車、バスの車内にゴミ箱があったらどうだろう。

 

多分、家庭ごみで溢れかえってしまうだろう。

 

マナーをどうやって守らせるかという議論と、マナー無い人を

 

想定した対処方法の議論は尽きることがない。

 

よって、公共施設のごみ箱は、できれば撤去すべき。