瀬津佐 拓馬 オフィシャルブログ

日頃感じる思いを素直に綴ってます。

宗教感とは

私は無宗教である。

 

家族の影響もあるが、幼稚園がカトリックであり礼拝などしたことはあるが

 

真からのカトリックではない。

 

それでは宗教の目的とは何だろうか。

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確かに、どの宗教の信者になるのも自由である。

 

その自由については反論しないし、信者たる個人を批判する

 

つもりもない。

 

しかし、私は結果として人を傷つける原因が宗教である場合、

 

とても嫌悪する。

 

なぜなら、その信者でなければ人を傷つける行動はしなかったかもしれないからだ。

 

信者になるきっかけは、色々あるが多くは心が落ち込んでいる時、

 

救済の目的でその宗教の教えにすがることが多い。

 

すがることによって、その悩みから解放された気分になれば、その後も

 

その教えを信じて、他人にも勧めてしまう。

 

最悪に場合は、その勧めを断った人、否定した人を攻撃すること。

 

宗教戦争は互いの宗教の陣取り合戦みたいなもの。

 

洗脳された人が行うあやまち。

 

信者になるのは個人の問題であり、他人を巻き込むのは間違い。

 

良い行いをする宗教団体もある。

 

しかし、オウム真理教などは最悪の宗教団体である。

 

また営利目的があからさまな宗教団体も多数ある。

 

私はどの宗教も深くは理解していないが、その信者の行動を見て

 

判断してしまう。

 

信者が良い行動をしていれば良い宗教だと。

 

それは早急な判断かもしれないが、間違ってもいない。

 

よって、宗教は個人の自由だが、他人を攻撃する権利はない。