瀬津佐 拓馬 オフィシャルブログ

日頃感じる思いを素直に綴ってます。

年賀状の意味は

近年、年賀状作成をやめる人が増えている。

 

高齢になり作成が困難な人は理解できるが、ほかの年齢層にも

 

この風潮が広がっているのはなぜだろうか。

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たしかに、お正月に普段会えない友人知人親戚からの新年の挨拶状は

 

心温まるものだ。

 

私も物心ついた時から毎年作成している。

 

しかし、この慣習をやめたときのデメリットは、どれだけあるのだろうか。

 

それを考えると、やめても何も自分には悪影響は無い。

 

なぜなら、新年の挨拶やお互いの近況報告、生存の確認が目的ならSNS

 

使えば良い。

 

逆にやめたときのメリットは多い。

 

作成する時間の節約になる。

 

家計が、枚数にもよるが、大いに助かる。

 

準備に意外と時間がかかるのも大きな問題。

 

筆記用具、住所録、柄の選定、作成する場所の確保など。

 

特に住所録は、毎回編集や更新が必要。

 

相手が見たときの印象を気にする必要が無い。

 

子供時代は、書いたり、もらったりというワクワク感があった。

 

不安な内容の文面だと、余計に心配してしまう。

 

ただ、やめる場合、それを相手に告知する作業も必要だ。

 

告知なくやめたい場合、毎年出していた相手が心配してしまう。

 

これは、厄介な問題。

 

心配しすぎだろうか。

 

一回、告知なく試験的にやめてみるのも、おすすめだ。

 

多分、大騒ぎする人は皆無だ。

 

よって、これらの理由で、年賀状をやめてみる事に

 

大いに賛成だ。

 

紳士服専門店の逆襲

近年、紳士服専門店が姿を消していっている。

 

それでは、ひと昔前、よく見かけた紳士服専門店が急速に衰退して

 

いったのはなぜだろう。

 

たしかに、ビジネススーツのカテゴリーは不滅で、毎年スーツを新調する客も

 

少なからず存在する。

 

銀行業界、不動産業界など、顧客に好印象を与える必要がある業界では

 

紳士服専門店は、必須である。

 

しかし、このままの戦略では衰退の一途をたどるだろう。

 

なぜなら、スーツ文化自体がなくなりつつあり、ノーネクタイの奨励で

 

スーツよりジャケットを着こなすビジネスマンが増加した事が第一の原因だ。

 

気軽に入店しずらい店構え、昔ながらの接客方法、トレンドに合ってない

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カジュアルコーナーなどを、変えない限り、客の足は向かないだろう。

 

カジュアルではユニクロがあるため、同路線では価格と品質では負けるだろう。

 

ただ、冠婚葬祭カテゴリー、リクルートスーツ、オーダースーツの需要は今後も一定

 

数残るはず。

 

そのカテゴリーの顧客は今後も大切に扱うべき。

 

新たなチャレンジも必要。

 

カジュアル路線を、トレンドに合わせたラインナップにする。

 

オーダースーツをより高級路線にする、又は、よりリーズナブルな価格にして

 

若者層を取り込む。

 

レディースカテゴリーを強化して、フォーマルドレス系を展開、紳士服専門店

 

の呼称を脱却するなどは、どうだろう。

 

よって、紳士服専門店が生き残るには、既存客を大切にしながらも

 

新たなカテゴリーに挑戦することが必要。

 

大統領選挙の論争

アメリカの次期大統領選挙が、ほぼ終了したが、殆どの日本人は

 

その結果よりも、二人の代表の論争に落胆したはず。

 

アメリカが移民国家であるがゆえに、大統領選挙でも根強い問題を

 

顕著にしてしまった。

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それでは、二人とも素晴らしい政策を持ち、人柄も魅力的な

 

政治家なのに、なぜ、この選挙戦が日本人に評判が悪く、

 

違和感を多くの人に持たせたのだろうか。

 

たしかに、日本の選挙よりもマニフェストがしっかりしていて、

 

選出に時間を十分かけて国民の判断を集めている。

 

しかし、最終的には、泥試合となり民主主義の根底を

 

崩してしまう結果になった。

 

なぜならば、まず、政策論争だが、お互いに過去の失敗を厳しく追求して

 

今後の政策についての論議に時間をあまり割いていない事による。

 

プライベートな弱点も攻撃する時もある。

 

また、国民の興味は政策では無く、人柄や人種差別に対する考え方を

 

選出の基準としている。

 

移民国家ゆえに、心の拠り所を探している気がする。

 

これでは、ファンの人気投票と同じだ。

 

真剣に今後の4年間を任せられる人物を選んでいるのだろうか。

 

日本の選挙は、まだ政策に論点を絞っている。

 

人種差別問題が論点には上がらない。

 

選挙結果に対する不正の追求も、子供の喧嘩じみている。

 

郵便投票が無効だという主張も、喧嘩に負けた子供の負け惜しみと

 

聞こえてしまう。

 

これらの理由で、米大統領選挙に、私は大いに違和感を持つ。



アメリカの差別主義

近年、洋画でアメリカの差別主義をテーマにしたものがヒットしている。

 

よりリアリティを追求したアメリカ映画は、アメリカが抱えている

 

根強い問題をうまく表現していて面白い。

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日本人はアメリカの差別主義問題を表面的には理解しているが、根底に流れる

 

深い真の問題は、決して理解してないだろう。

 

それでは、アメリカの差別主義問題を日本人が理解できない理由は

 

なんだろう。

 

たしかに、日本の地方では似たような差別主義の事例が発生している。

 

例えば、村落の村八分だ。

 

部外者を迫害し排除する動きは、少なからず、起こっている。

 

しかし、移民国家アメリカの人種の抱える問題の理解は困難だ。

 

なぜなら、日本は島国国家だからである。

 

狭い国土の中で、海外の情報をあまり取り入れず、自国の努力で

 

発展してきた国だ。

 

黒人、白人の差別問題には疎く、肌で感じることは出来なかった。

 

そのテーマの映画でも、どこか遠い世界の出来事と感じてしまう。

 

それは、今後も変わらないだろう。

 

ただ、どの映画もラストは解決に至らず、問題の投げかけで終わっている。

 

この問題は深いぞ、とか、キミが当事者だったらどう行動する?という

 

投げかけである。

 

アメリカ大統領が誰になっても、解決しない問題だ。

 

中国人が他国で強力な中国人同志のコミュニティを作っているのも

 

別の意味で違和感を日本人は感じる。

 

よって、日本人がアメリカの差別主義問題を理解できない本当の

 

理由は「日本人」だからである。

 

日本語の難しさ

近年、世界中で漢字に対する評価が高まっている。

 

日本を象徴するものの一つとして、漢字を習いたい外国人が増えている。

 

それでは、なぜ、世界に日本語があまり広がらないのだろうか。

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たしかに、有名な日本の小説などは日本語のまま販売されている場合もある。

 

しかし、共通の世界の人々の認識は、日本語は習得に困難ということだ。

 

なぜなら、まず使用する言語の種類が多い。

 

漢字、ひらがな、カタカナ三つが基本で使用文字数が多い。

 

英語は、アルファベット、26字で全て表現できる。

 

英語と比較して、単数形と複数形の区別が明確では無い。

 

日本語は同音異義語も多い。

 

色、式、四季 などである。

 

敬語、謙譲語も外人が流暢に話すには、時間がかかる。

 

日本人でも、敬語を完璧に話す人は少ない。

 

ただ、ロシア語などの女性、男性名詞の区別は無い。

 

結論が最初にくる英語と違って、最後まで聞かないと結論が分からない。

 

中国語と比較して、日本語の音のイメージは、どうなのだろう。

 

英語圏とかと比べて、他の言語との類似性がない。

 

それが、島国の言語の特徴の一つだ。

 

例えば、ヨーロッパでは英語が通じるなど。

 

日本語の曲が海外で流行ったのも、あまり聞かない。

 

多分、理解する人が少ないからであろう。

 

日本語を海外に広める一番早い方法は、有名なエンターテイメント

 

の発信である。

 

日本の音楽、小説、映画などがヒットすれば、それを理解しようとする人が

 

必ず現れるはず。

 

そのコンテンツを理解するには、その国の言語理解から始めるのが

 

近道だ。

 

よって、私は、今後ますます日本語が世界に広まっていくことを切望する。



あだ名禁止の効果

近年、学校で子供間でのあだ名使用を禁止する動きが高まっている。

 

それでは、あだ名禁止が、本当にいじめ防止に役立つのだろうか。

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確かに、いじめのきっかけは、あだ名にある場合が多い。

 

あだ名からいじめに発展する場合が多い。

 

例えば、デブ、チビ、ハゲ、など人の欠点をあからさまに攻撃する。

 

呼び方は、他の人を安易に煽動する働きがある。

 

悪意がなくても、呼ばれた本人は深く傷つき、同じ行為を、違う他人に

 

してしまう場合がある。

 

しかし、この行為を禁止するだけで、いじめは減るのだろうか。

 

一定の効果はあるかもしれないが、いじめの根絶にはならない。

 

なぜならば、いじめの理由は表面的なあだ名だけではなく、もっと深い。

 

禁止すればするほど、子供は刺激されて、隠れて、より強烈なあだ名をつけるかも

 

しれない。

 

より、陰湿ないじめに発展する可能性もある。

 

教育者は、禁止する理由をちゃんと説明して、理解させる努力が必要。

 

あだ名は、愛称と似ていてコミュニケーションの手段の場合もある。

 

家庭内でも兄弟間であだ名で呼び合うこともある。

 

親は、人を傷つけてないかチェックが必要。

 

家で許されれば、学校でもいいと子供は感ずる。

 

また、子供が学校でどんなあだ名で呼ばれているかを、知っている親は少ない。

 

親に心配かけたくないので、子供は、酷いあだ名で呼ばれていても言わないだろう。

 

家庭でのコミュニケーション方法は、親が良好に子供に教えるべき。

 

以上のことから、私はあだ名禁止でいじめは根絶できるという考えに

 

反対だ。

真のファンとは

近年、芸能人のスキャンダルや不祥事が続いて報道されている。

 

その芸能人のファンは、心を痛めているだろう。

 

それでは、自分の好きな芸能人が不祥事を起こしたら、ファンをやめるのだろうか。

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確かに、大部分のファンは、嫌いになり、別のアイドルなどに興味の対象は移って

 

いくかもしれない。

 

しかし、中には、これまでと何も変わらずファンを続ける人もいる。

 

なぜならば、その人の人格のファンではなくて、その人の発信するパフォーマンス

 

のファンだからである。

 

その人を好きなのではなく、その人の作品を愛しているのである。

 

なので、その人が不祥事を起こしても、音楽や小説などの作品自体の価値が落ちる

 

わけではなく、

 

また復帰して作品作りをしてくれるまで、待てばいいだけのことである。

 

これが、宗教的に人格から全てを信じきって、愛していたファンは、ショックから

 

立ち直れず、離れていくだろう。

 

たまに、一緒に自殺を図る人も出てくるのは、こういう理由だ。

 

その人のどの部分が好きか、どこまで好きかによる。

 

全てが好きな人は、このような不祥事による活動の謹慎などは、あるべきことと

 

覚悟が必要だろう。

 

また、誰が好きかとは、嗜好も問題なので、他人に迷惑はかけないで欲しい。

 

個人それぞれの嗜好が違うことで、世の中が成り立って入りことを理解して欲しい。

 

よって、好きな芸能人が不祥事を起こしたら、ファンをやめる、やめないの基準は

 

その人をどこまで好きかによる。